やっすい居酒屋でこれからの時代とか語り合いたい人生だった
ども。ぜんまいざむらいです。
私は本とか未来の話とか教育論とか大好きなんですけど、周りにそういう人が一切いないんですね。
わたし自身がそれを好きだと発信してこなかったから。
わたしの中学では本を読む人は隠キャと呼ばれ、未来を語るやつは痛いやつ。なにより田舎の中学だと暴力=権力なんですね。
知力=権力になるのは知力=お金=権力になってから。子供の世界ではお金の部分が抜けるから単純でわかりやすい力が権力になってしまう。
悪くて強いやつがカッコいい。
どれだけ悪いことできるか、どれだけ人に迷惑かけられるか選手権です。
中学はその部類に入ってたからやられたら思いっきりやり返してたし、隠キャだ痛い奴だと友達がバカにしてても傍観してた。ほんとは私も好きなんだよな、と思いながら。
そこで私が「私もそれ好き!」と勇気を出して言えていたなら、表題は叶っていたかも知れません。
でも私は好きなものを言ってバカにされたり、好きなものを嫌いな人から嫌われるくらいなら1人で楽しんだほうがいいと思ってしまった。
当時はそれが最善だと思っていましたが、今思うとうーん、、信念を曲げてしまった感が否めない。
一度曲げてしまった信念を、曲げなかった人達の前で堂々と語るのは違う気がするし。かといって信念すら持っていない人に話すにはもったいない気がするし。
大人になって、本を読んだり未来を考えたりすることを馬鹿にする人はいなくなったけれど、違う道を進んでしまった人達にもう会えることはない。
やっすい居酒屋でこの本のこの文がどーだの、この人に任せてたら未来はこうなってしまうだとか、この考え方をすればうまくいくんじゃないか、これからの教育はこうあるべきだ、そんな熱い議論を永遠にしていたい人生だった。
おしまい