ぜんまいざむらい

いつか自由に。

そして、バトンは渡された〜読書感想文〜

瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を読んだ。

2019年の本屋大賞受賞、キノベス1位、王様のブランチBOOK大賞と軒並みの高評価がある本。

とてもワクワクした気持ちでページを開いた。

 

おもしろい。すごく。

私も家庭環境が複雑だったのでちょっと3回くらい泣いてしまった。

 

惜しみなく愛情を与えてくれる人がいるのは幸せなことだ。それが他人であっても。そのことを改めて実感させられる。

 

そして本を読んでいて嬉しいのが「それ、私も思ったことある!」という感情がでてきたときだ。

 

私は薄情とか冷たいとか言われがちだが、主人公も同じ感情をもっていて、だよね、やっぱそういうこと思うよねって同意することができる。安心するのだ。こんな感情を持ってしまうのが自分だけじゃないことに。

 

そんなふうに考えるのはあなただけじゃないよ。その考えも、ある世界では普通なんだよって。そっと寄り添われている気持ちになる。

友達の「わかるー」なんかよりよっぽど心に染みるのだ。

 

そうやって私はたくさんの本に助けられてきたが、この本もそういう一冊になるだろう。

読み終わったあとのこの幸福感がより一層私を本好きにさせる。

 

もっとたくさんのいい本に出会えますように。

 

おしまい

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暗幕のゲルニカ〜読書感想文〜

原田マハさんの暗幕のゲルニカを読みました。

 

毎回のことながら原田マハさんの本を読むと実際にその絵画を見たくなります。

 

今回はパブロ・ピカソと戦争のお話。

アートは戦争に対抗できるのか。

 悲しみを、怒りを、人々の心を、1枚の絵が伝えることはできるのか。

 

答えはでません。

 

ただ、読むと何かしら感じるものがあるとおもいます。

途中ちょっとだらつきますが。笑

 

解説も池上彰さんで面白いですよ。

やはり彼の方は文書から頭のよさが滲み出ますね。皮肉が欧州ぽいです。帯でそれを宣伝しないところも好きです。

 

 

原田マハさん本人もキュレーターだったこともあり、どんどん引き込まれます。

どんだけ表現がうまい作家さんでも実体験がかすってる方が面白いんですよねぇ。不思議ですけど。

 

奇跡の人という本も読んだのですが、こちらは説明感が強いところがちょいちょいありました。また後日アップします!

 

見なくては死ねないリストに暗幕のゲルニカもプラスされてしまった、、、

 

おしまい

 

 

 

 

バスの運転手の一言

今週のお題「桜」

 

どうも、ぜんまいざむらいです。

 

突然ですが、熱海旅行にきています。タイムリー。

 

熱海駅からバスに乗ったとき、おじさまがバスの運転手さんに「この桜は何桜ですか?」と尋ね、私は内心ヒヤッとしました。

 

バスは走行中で窓の外の一瞬の桜の名前なんて、分かるはずないと思ったからです。

 

私も仕事柄初対面の方とよくお話しますが、初対面の方からの予想外の質問ほどヒヤッとすることはありません。

 

ですが、その運転手さんは「その桜は熱海桜ですね。今咲いているのはソメイヨシノで1月には河津桜が咲きます。」と平然とお答えになった。プラスαの情報まで加えて。

 

おじさまは「どおりで。葉桜が多いと思ったんです。」と満足げ。

 

そのあと「熱海によく来られる方は梅園と一緒に桜も見ていかれますよ」と運転手さんは付け加えます。

 

これで、このおじさまは来年も熱海にきてくれる確率が格段にアップしました。梅と桜を同時に見られるなんて魅力的ですから。

 

 

この運転手さんの対応こそプロフェショナル。

何がすごいって桜の種類と位置を把握している+新しい魅力的な情報を付け加えている

 

バスの運転手さんの役目はバスを安全に運転し、乗客を送り届けることです。

できる運転手さんなら周辺の情報は頭に入っている方もいるでしょう。

 

ですが、プラスの情報を(しかも喜ぶであろう情報を)持っているだけではなく、自ら伝えてあげる姿勢。思いやりと誇りがなければできませんので。

 

最低限自分の仕事をこなせばいいやと思っている人にはできない仕事です。受け身では自ら情報を与えることはできません。

 

 

 

雑談が上手い人は仕事の進め方も上手い。小さなことにも気がつく人は調整しスムーズに進められます。

どんな大きいことも始まりは小さなことですから。

 

 

しかも雑談をすることで、相手から新たな情報を引き出すことができます。今のおじさまを例にすると「おじさまは葉桜が多いと思った」という情報ですね。

 

もしも、この桜は熱海桜です。だけで会話をおわらせていたら、ほう。と返ってきて終わりでしょう。

 

その上で「梅と桜が同時に見られる」という情報をプラスすることで、おじさまは次はそれを見たいなぁなんて考えるでしょう。この地道な積み重ねで顧客が増えていくんです。

 

雑談力、あげていきましょう。

 

 

おしまい

 

 

 

幸せとは〜♪

 

ほしがふーる夜と眩しい朝がぁー

繰り返すようなものじゃなぁーく♪

 

どうも、ぜんまいざむらいです。

 

唐突に幸せとはなにか考えてしまいました。

 

大切な人に傘をさせるような人になりたいのはもちろんなんですけど、幸せの定義がないと最高値も分からないな、と思いまして。

 

今思いつく私の中の幸せの定義は、大切な人を幸せにし、自分のことも幸せにする

 

これしかないと思います。

逆にいえば私が幸せにできる人、私のことを幸せにしてくれる人と付き合っていく

 

誰にだって特性はあるし、だからこそ相性なんてものがあるし。自分自身でしか補ってあげられない幸せもあるし

 

私の幸せ×周りの人の幸せ=幸せの最高値

だと思います。

 

私だけが幸せで、私が周りを不幸せにしていたら人は離れていってつまらなくなります。

 

周りが幸せで、私がそのために自分を犠牲にしていたとしたら、続かずに自爆するでしょう。

 

 

自分も100%幸せで相手も100%幸せ。この状態こそが最高値であって、なかなか保てるものではありません。

 

 

もちろん人間なので、正確に数値で見れるわけではありません。

が、私が余計なお世話だと感じることを気が利くと捉える人もいるし、泣いてる時に声をかけてほしい人もいれば放っておいてほしい人もいます。

 

泣いてる時に声をかけることが優しさだと思ってる人と泣いてる時に声をかけて欲しい人が組めばお互い幸せですね。

どちらかが違えてるとどちらも幸せになれないか、もしくはどちらかが気を使って幸せになれない可能性があります。

 

 

性格の特性がパズルのピースのようにハマる人と付き合っていく。そうすればお互い無理なく幸せになれます。

 

 

また、好きという気持ちは不思議なもので、自然と相手に合わせたくなります。自分のパズルのピースを変形させるのです。

 

自分の全てのピースを変形させてしまっては、もはや自分ではなくなってしまいますが、お互い全てのピースがぴったり会う人など存在しません。

ピースを変形しあうことでしか、100%には到達できないでしょう。

 

 

この人だったらピースを変形させてもいいなって思える人と付き合っていきましょう。友達でも恋人でも。それが幸せへの近道だと、私は思います。

 

そして、相手が全くピースを変形してくれないようなら速やかに去りましょう。合わないんです。相性がよければ相手のピースも自然と変わります。全く変形しないのは、拒まれている証拠です。(自戒)

 

 

そして、自分自身を幸せにしてあげることも忘れずに。

自分が幸せでいることがみんなが幸せになる第一歩かなと思います。(超自戒)

 

 

今日も今日とて。

 

 

おしまい

 

 

 

 

仕事ができる人ってどんな人?2

 

どうも。ぜんまいざむらいです。

 

前回の仕事ができる人って友達いないんじゃね?説を今回は掘り下げます。

 

私の弟がいい例です。

 

先生に怒られても、自分が悪くないと思えば絶対に謝りません。親を呼び出されようが、友達に変なやつ扱いされようが、絶対に曲げないんです。

 

私は子供ながらに「一言謝ってしまえば終わるのに。バカだなぁ」なんて思ってました。

でも、その小さな意地が大切だったんです。

 

普通の方なら誰でも怒られて(私は悪くないのに…!でも謝っておけば早く終わるしな。めんどくさいし言っておこう)「ごめんなさい…」という記憶はあるんじゃないでしょうか。

 

 

自分の意地を曲げて相手に従う。

学校生活でうまく生き延びるためには絶対に必要なスキルです。が、社会に出た途端むしろいらないスキルになります。

 

このスキル何が危険って、従いグセがつくことです。

 

社会では従う側と従わせる側しかいません。どんなに些細なことでも。

 

なぜか態度がでかい人。同期なのに指示してくる人。出世します。最終的にどうなるかはさておき、先に上に行くのはこういう人です。

 

 

つまり学生生活でうまくいっていた人は言われたこと(理不尽や皮肉だとしても)に従うことができ、うまくいかなかった人は納得できないことに従えない。ということです。そのために問題児や融通がきかない人扱いされる。ですか、社会にでると問題点に突っ込めたり情報を集めてから理論的に話してきたりとプラスに作用します。

 

 

 

もちろん会社に入った当初は従ったり従わせたり(頼んだり頼まれたり)するでしょう。

その割合がどんどん崩れてきて最終的にはどちらかの側についています。人間、慣れた楽な方に流れてしまうものです。

 

学生生活でうまくいっていたが、私は従わせる側だった!という方もいるかも知れません。

 

でも先生には?先輩には?親には?従ったフリをしていませんでしたか?

 

実はこのタイプの人が1番社会に出て苦しいです。

 

従う側と従わせる側は需要と供給が一致しているのでお互い楽。一択です。

 

でも、今まで従うフリを従わせるフリをしてきた人はもう大変。人を従わせるのにも言い回しを考えるし、かといって気に入らないことに従いたくもないし。選択肢が多いから毎回選択を迫られる。

 

 

一度意思を曲げる経験をした人が、意思を曲げないように頑張って保つのと、意思を曲げることを知らない人がただ普通に生活するのとでは気持ちの疲労度が違います。

 

 

 

人を従わせようと気を配ってる間に当たり前のように従わせる人がいるのです。むしろ気を配らなくてもできるから+αまでつけてきます。

 

 

フリをしてきた、今まで器用にすり抜けてきた人が真面目に昇進しようと思ったら、学生生活の倍の苦労では足りないでしょう。

 

 

まぁ書かなくてもプライベートで従わせるだけの人がいたら厄介なのは分かりますよね。

一対一では従う側にならざるを得ないし、ワガママ放題でついていけない。

たまに従うのが天職。指示してくれた方が楽。という人と友達みたいになってるのはみかけますけど。

 

 

観察すればするほど出世が遠いぜ…オイ…

 

今日も今日とて。

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事ができる人ってどんな人?

お題「貯金の方法」

 

今日もぜんまいざむらいです。

 

貯金=収入−支出

 

簡単ですねぇ。実に単純。

支出を抑えるのは辛いので、収入を増やす方法を考えました。

 

私は一応一部上場企業に勤めています。ここで収入を増やしたければ昇進かボーナスかしかありません。

 

もちろん優秀な人は結果を出すのでボーナスは増えるしさっさと昇進。羨ましいかぎり。

 

なんといっても私は平々凡々なので、優秀な人達のパクリが手っ取り早いと日々観察しました。

 

そこで気づいたこと一点。

「仕事できる人って友達いないんじゃね?」

失礼なのは承知の上で。まじでこれにつきる。

 

馴れ合わない。謝らない。YES or NO。

学生生活で、人間関係で、必要と言われてきたものをばっさりと捨てている。

 

ようするに無駄なことはしないんです。だから仕事が早い。謝らないからミスったように見えない。白か黒。グレーなんて最初から選択肢にありません。

 

それにまずキャラが濃い。学生生活だったら確実になんだあいつ変わってんな、と嫌煙されてたようなタイプの人こそ覚えられる=太く繋がれる

 

 

平々凡々はごまんといるんです。うまく同化、擬態してクラスという狭い世界に馴染んできた人は往々にして仕事ができない。できないというかそつがなさすぎて注目されない。注目されない=代わりがいくらでもいる。これは辛い現実ですねぇ。あなたじゃなくてもいいからあなたを上にする必要がないんです。(特大ブーメラン)

 

謝らず、態度がでかく、変わっていて自分の意見を曲げない。学校にいたら確実に厄介者扱いですが、社会では需要があります。

 

だから上にいきたい、結果を出したいと思ったら馴染んじゃダメなんです。キャラを前面にだして判断は白か黒。人々が馴れ合ってる間に仕事を一つでも多くこなす。この積み重ねが結果になります。お金になります。

 

実際仕事できる同期は学校の友達はいない、全然楽しくなかった。って言ってましたしね。

 

私は学校を楽しくするために自分を同化させるように努力してきた人間ですから、また1からやり直しな訳です。

 

書いてるだけで気が重くなってきましたが、とにかく社会で活躍してお金を得るためには、他との差別化が必要です。オンリーワン感を出していきましょう。

 

私の仕事は私にしかできないと振る舞うことで、周りもなんだかそんな気がしてきちゃうし、態度がでかければ偉いんだと勘違いされます。その方がチャンスが巡ってきやすくなるし、融通が利く。

 

(´-`).。oO(あぁなんか無理な気がしてきた…ヒモニートになりたい…)

 

社会って大変ですね。とりあえず振る舞いを変えるだけでお金が入ってくると思ってがんばりましょ。

 

 

 

おしまい

 

 

やっすい居酒屋でこれからの時代とか語り合いたい人生だった

 

ども。ぜんまいざむらいです。

 

私は本とか未来の話とか教育論とか大好きなんですけど、周りにそういう人が一切いないんですね。

 

わたし自身がそれを好きだと発信してこなかったから。

 

わたしの中学では本を読む人は隠キャと呼ばれ、未来を語るやつは痛いやつ。なにより田舎の中学だと暴力=権力なんですね。

知力=権力になるのは知力=お金=権力になってから。子供の世界ではお金の部分が抜けるから単純でわかりやすい力が権力になってしまう。

 

悪くて強いやつがカッコいい。

どれだけ悪いことできるか、どれだけ人に迷惑かけられるか選手権です。

 

中学はその部類に入ってたからやられたら思いっきりやり返してたし、隠キャだ痛い奴だと友達がバカにしてても傍観してた。ほんとは私も好きなんだよな、と思いながら。

 

そこで私が「私もそれ好き!」と勇気を出して言えていたなら、表題は叶っていたかも知れません。

 

でも私は好きなものを言ってバカにされたり、好きなものを嫌いな人から嫌われるくらいなら1人で楽しんだほうがいいと思ってしまった。

 

当時はそれが最善だと思っていましたが、今思うとうーん、、信念を曲げてしまった感が否めない。

 

一度曲げてしまった信念を、曲げなかった人達の前で堂々と語るのは違う気がするし。かといって信念すら持っていない人に話すにはもったいない気がするし。

 

大人になって、本を読んだり未来を考えたりすることを馬鹿にする人はいなくなったけれど、違う道を進んでしまった人達にもう会えることはない。

 

やっすい居酒屋でこの本のこの文がどーだの、この人に任せてたら未来はこうなってしまうだとか、この考え方をすればうまくいくんじゃないか、これからの教育はこうあるべきだ、そんな熱い議論を永遠にしていたい人生だった。

 

 

おしまい