TVは楽しさの疑似体験?
どうも。ぜんまいざむらいです。
私は1人の時にテレビを見ないように気をつけています。
というか、働き始める前はテレビを全然見なかったんです。
でも今は部屋についたらとりあえずテレビをぽちっと、、、なんかテレビ付けないと寂しいなーと思うようになってしまった。
学校行ってバイトして遊んでいる時はテレビなんて見なかったのに、なんで今はこんなにもテレビをつけたくなってしまうんだろう。
それは「テレビは楽しさの疑似体験である」からではないかと。
(もしかしたらどっかのだれかがすでに言っているかも知れないのですが、私は勉強不足なのでそこはご勘弁を(^^;)
つまり日常に楽しさがたりないのです。
だからテレビの中の楽しさにすがる。
楽しい出来事に笑って、楽しくなったつもりでいる。激しい意見に共感して自分も激しいことを言った気分になっている。
実際の自分はテレビの前に座っているだけです。なにも生み出してないし、行動すらしていない。生産性はゼロです。
それなのに、何かをした気になっているのが恐ろしい。
テレビで楽しさを得るのは簡単です。
だけどその楽しさは、何かを深く考える時間や小説を読んだり文字を書いたりする時間を奪っています。
気づかないうちに、普遍的な価値観を植えつけられているかもしれない。
もしかしたら、深く考えたらとても耐えられないような毎日をやり過ごすためにテレビを見るのかもしれませんね。
テレビを見ないで済む人は、現実に楽しいことが溢れているか(リア充タイプ)、深く考えたら耐えられないような現実に向きあう狂人か(小説家タイプ)、自分の現実が耐えられないようなものだと気がつかないおばかさんか。(1番幸せに生きれるタイプ)
テレビはある意味逃げ道だ。
その逃げ道に走ったところで、深く考えたら耐えられない現実を生きていることには変わりない。
変わりないなら、それは考えて、考えて、改善策・打開策を出した方がいいんじゃないのか。
テレビという安易な楽しさに逃げてないで。
って考えながら帰ったらテレビつけるんでしょうね。現実を見つめる勇気なんてないもの。今日も今日とて。(^^)/~~~