ぜんまいざむらい

いつか自由に。

嫌いだけど感謝はしてる

今週のお題「おかあさん」

 

このお題は、、少々昔の傷をえぐることになりますが、私はお母さんを好きではないです。

 

小学生低学年のころ両親が別居して(最近また復縁して一緒に住んでるんですけどw)お母さんと一緒に暮らしてたんですね

 

まぁ正義感の強い厳しい母で。

でも私、昔はそんな母を尊敬していたし大好きだったんです。

 

弱いところもあってすぐヒステリックになるし、私によく「あなたは私のこと置いてかないでね」「あなたがいなかったら生きていけない」「あなたが幸せならそれでいい」と言っていました。

 

私も必ず私もお母さんと同じ気持ちだって返事をしてました。いわゆる共依存ですね。

 

それが変わったのは高校受験の合格発表の日。

その日がお母さんの誕生日だったんです。

私の頭は受験結果のことでいっぱいで毎年祝っていたお母さんの誕生日がすっぽり抜け落ちていました。

 

お母さんはそれにかなりショックをうけて家出してしまいました。

今考えるといい大人がそんなことくらいで、、って思うんですけど、その時はやっちまった感でもうパニック。

 

片っ端から電話をかけまくってやっとお母さんの居場所が分かったのですが、そこがなんと別居中のお父さんの家。

 

それからぼろぼろお父さんと結構な頻度で会っていたことや、私達の愚痴を言ってたことが分かって、、、

 

私の世界はひっくり返りました。

 

なんだ、お母さんを支えていたのは私だけじゃなかったんだ、

私はお父さんと会いたくても会えなかったのにな、と。

 

それはもう裏切られた悲しみと肩の荷が下りた安心感でぼろぼろ涙がでてきて。

 

そこからは言うことを聞かなくてもいいんだ、支えなくてもいいんだという楽しさから反抗期と夜遊びが始まりました。

 

でも元々真面目に育ってきてるのでそういうのも肌に合わず(ポイ捨てを止めてガチ喧嘩になったこともありましたw)

 

で、気づいたんです。

この歳まで親の援助なしで生きてこれたか?って。

たしかに裏切られたかもしれない。

でも母が作ったご飯を食べて、洗濯も掃除もして貰って、住むところまで与えてもらっている。(まぁそのもろもろのお金は父親が結構持ってたのでその面で特別な我慢はしませんでしたが)

そもそも父親と母親がセックスしなければ私は生まれて来れなかったんだから、両親には無条件で感謝すべきではないのか?と。

 

でも、その時の私は反動でものすごくお母さんのことを嫌っていたので、だったら私は誰の力も借りない!と、炊事、洗濯、掃除全部やりました。でも学費は?住む場所は?これからかかるお金は誰が払うの?全て親です。

 

なので、私は反抗を諦めました。

親には一生頭が上がらないものだと。

 

でももう好きにはなれません。だから早く独立する道を探しました。今は大手企業の寮で楽しく生活しています。

 

好きではないけれど、恩は返しきれないほどあります。

 

この複雑な気持ちは自分が子供を持ったらまた変わるのかなぁとも思います。

 

早く自分の中で折り合いがつくといいんですけど、、ね。

 

 

 

カエルの楽園 〜読書感想文〜

百田尚樹さんのカエルの楽園を読んだ。

 

最初はなるほどなって感心した。

百田さんから日本はこう見えているのか、そして多くのひと(といってもまだ少数派だけど)が同意見なのかと。

 

この本では実際に起きた出来事を砕いて砕いて表現してあって風刺のようなおもしろさがある。

 

日本もこのままじゃ危ないぞって警戒をならしてる。

 

最後まで三戒を守っていれば平和でいられると信じてる哀れさがまた辛い。

 

この本では戦う意思を持たねば、武器を持たねば、平和は保たれないと言ってるように思える。

 

たしかに受動的な平和は戦わなければ得られない。

 

でも私は、目指すべき平和はそこではないと思う。

武器をもつのはなんのため?

戦いはなにを生む?

そんなの先人たちが無意味だって証明したじゃないか!

 

武器をもってしまえば戦いたくなるバカがでてくるし、一度持ってしまったら手放すことなんてできない。

 

平和のための戦いはそんなことでは勝ち取れない。

武器も兵隊も持たない意思とそれを実現させる知恵と戦略と財力こそが必要だ。

 

武器をもってしまえば手っ取り早く威嚇できるに決まってる。でもその先に待ってるのは泥沼だ。

 

本当に平和でいたいなら戦略を練って勝ち取らなければいけない。戦うよりも強い覚悟が必要だ。と私は思う。

 

 

 

 

グレー

お題「この色が好き」

 

イメージカラーってあるじゃないですか、それぞれの人に。

 

情熱的な人だったら赤、とか、クールな人は青、とか。

 

小学生の頃って特に〇〇ちゃんは〇色っぽい!みたいな話した記憶があって。

 

その時私は黄色っぽい!オレンジっぽい!って言われることが多かったんですけど、1人私に灰色って言った子がいて。

 

こいつ私の本質を見抜いておる(・_・;

って焦った覚えがあります笑

 

黒にも白にも寄れないグレーな部分って自分の中にとても多くて、都合のいいように白に見せたり、黒に見せたりしてたので、その時はドキッとしましたね。

 

 

そんなグレー寄りな私ですが、好きな色は「白」です。

 

白って何色にも染まれるのに白を貫いてるところが好きですね。染まらない強さというか。

自分を突き通す強さみたいなものをかんじます。

 

強さなら黒のほうが上では?とも考えられるんですけど、

黒って染められないじゃないですか。

何色を混ぜても黒は黒。

黒は黒以外にはなれない。

そこにも強さはあると思いますが、染められるのにあえて染まらない白の方に憧れちゃいますね、私は。

 

もし違う色になりたくなっても好きな色になれるし、白のニュアンスが完全に消えてしまうことはない。

 

 

いつか私も白みたいな強さをもちたいですね、笑

 

今もグレーから抜け出せないので。

 

でも、私をグレーと見抜いてくれるような人に、もう一度会いたい気もします。

 

 

 

今日はこのへんで。

 

おしまいまいかぶ

 

 

 

楽園のカンヴァス〜読書感想文〜

 

この間本に関する投稿をしたら、原田マハさんの楽園のカンヴァスも面白いとコメント頂いたので、読んでみました(*´-`)

 

ルソーという画家の「夢」という絵画にまつわる物語を主人公達が解き明かして行くんですけど、まぁ面白い!!

 

絵画にまつわる本はダヴィンチ・コードしか読んだことなかったのですが、やっぱり絵画と謎解きは相性がいいですね。

 

静かなドキドキが途切れないし、勉強にもなる。

実際にその絵を見たくなってしまいました(._.)

 

中学生の頃、初めて行った美術館の絵を見ても、きれいだなとか独特だなとか単純な感想しか湧きませんでした。

 

でも今は、本を通してその絵の背景、宗教的なものから時代の流れまで知って、その絵が生み出されるまでの苦労を知って、、

改めて見たらとても感慨深いものがあるんだろうな、隠されたメッセージをこの目でみてみたいな、という気持ちでいっぱいです。

 

とりあえずアンリ・ルソーの「夢」とレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」はこの目で見るまで死ねません、、

 

他にもオススメの本とかあったらぜひ教えてください(*´-`)

 

 

 

0を1に

 

昨日の夜考えてたことがありまして。

 

それは、「人間にしかできないことはなにか」についてです。

 

AIにどんどん仕事を取られていく中で人間にしかできないこととはなんなのか。

 

まず頭の回転の速さ、計算力ではかてませんね。

 

それに最近のは人の顔を認識して感情を読み取ったり、何パターンものコミュニケーションを取得しているものもあります。

 

近い将来、事務職や単純作業はすべてAIがやることになるもしれません。

 

そんな中、人間にしかできないこととはなんなのか。

 

 

それは0を1にすることだと思います。

 

もともとなかったものを発明する。

新しい思想。

新しい芸術。

求められているものの先をいく。

今までになかったサービスを開発する。

誰にも気づかれなかったことを発見する。

 

人間が見つけたものをAIが発展させていく。

 

そんな未来も近いかもしれませんね。

 

まだ就職もしてないガキの妄想ですが、それをふまえた職業選びをするのもあながち間違いじゃない気がします(_ _).。o○

 

 

 

好きなものこそ秘密にする

お題「マイルール」

 

マイルール、結構たくさんあります。

 

その中でも驚かれるのが

「好きなものこそ秘密にする」

ということです。

 

それはなぜか。

 

1番の理由は、''私の好きなものを嫌いな人と友達になれなくなるから”です。

 

私はその人の嗜好で人柄を判断しませんが、世間にはそんな人たくさんいます。

 

本を読んでる人はオタクっぽい、

漫画好きなんてバカっぽい、

バンド好きって病んでそう、

とかね。

 

その一つの要素で、仲良くなれるチャンスを最初から潰してしまうなんて、もったいない。

 

オタクでもギャルでも厨二でも性格のいい人は一定層います。その一定層全員と仲良くなりたい。趣味の合う悪人より、趣味の合わない善人が好き。刺激ももらえるし。

 

だから好きなことは自分の中だけで育てる。

 

誰にも言わなければ批判もされないし、好きなことを公表するとそのことを嫌いな人と対立することになってしまう。

 

そのぶん好きなことを共有する楽しみは捨てなきゃいけないんですけどね(´・_・`)

 

それがどこか寂しいからブログの世界で書くのが好きなのかもしれませんね。

 

ここでは好きなものの共有、していきたいです、、。

 

おしまい

 

 

 

ぜんまいざむらいの深イイ話

お題「ブログ名・ハンドル名の由来」

 

ぜんまいざむらいというNHKの子供番組をご存知ですか?

 

ぜんぜんぜんまいざむらいのぉ〜!ってやつです笑

 

詳しく調べてみるとなかなか設定がちゃんとしていておもしろいんですよ。

 

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200年前は善之助という名の泥棒だった。ネズミに驚いて井戸に転落死するも、大福の神によってぜんまいざむらいとして復活する。生きてかつ本当の人間に戻るために善行を積む。第152話で、すでに108回の善を施し終わったことが判明しているが(大福の神いわく「なにせ数えるほうが数えるほうだから…」(数えるほうとは天蓋男のこと))、1年以上経っているため利子が付いていて、結局善を施し続けることになった。(Wikipedia)

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設定まで知ると深いですよね笑

 

まず人間じゃなかったんだって笑

 

自分のための行動が周りを巻き込んで善人を増やしていくって素敵だし、憧れもこめてハンドルネームにしてしまいました(*´-`)

 

ぜんまいざむらいみたいになりたいな〜